単純明快 ロトは縄文時代の人生哲理
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ロトとは縄文時代からつづく、日本の古き生活のありようでした。
人は可視化できない魂と見える物質的肉体が合わさった存在であり、
人としての幸せは、心身を豊かに楽しくなるように皆で大自然の恵みを分かち合って地球生命全体の幸せを拡大させていきましょうという意味です。
ロトとは、もともとは、いにしえのひのもと(日本)のヲシテ文字で表記されていたもので、現代日本語で表現されると、上記のような内容であり、ロトとは、人が地球上で活きる哲理です。
そのような背景から、英語表記では、Roto としましたが、Lotoのほうが発音が近いとおもいます。しかし、Lotoはさまざまなものにすでに使われていますので、Rotoとしているだけで、アルファベットの表記に深い意味ありません。表記よりも人が人として活き活きと生きる哲理に価値を置いています。
ロトの商標登録はとっていません。しかし、表記をまねをしても奪われることは絶対にありません。なぜかというと、商標登録をする行為それはすでにロトではなく囲い込みをするエゴだからです。その独占するという行為や人を妨害する欺瞞や欺きという行為は、訴えるという形をなしてきますが、それはロトの精神ではないため、その行為を行う者は、その訴えや妨害や誹謗を行うことにより、それはロトでない宣言となります。
このことは、日本人ならむかしから知っている、”コトアゲ”をしないという感覚で残っている思想です。
ロトとは、自立と分かち合いです。
みずからのおかれた立場、才能、興味、ひとりひとりのアイデンティティーを発揮して、地球全体の生命体が喜びを最大限発揮するために、あなたの才能を日々研鑽し、そのあなたの才能をみなで分かち合うということです。
まとめますと、ロトとは、単純明快。
人がひとりひとりの興味と能力を最大限発揮して
地球生命体すべてで喜びを分かち合いましょう。
という意味です。
ロトの哲学について詳しくお知りになるには こちら からどうぞ。